最近、次女が仕事に疲れて帰ってくる姿が目立つようになった。
息抜きしたかったのか「キャンプに行く予定はない?」と、自ら自然に癒やされたい感を出しながら聞いてきた。
本当は、用事があったのだが、無理くり調整して出かけることに。いくつか候補を挙げて、天気予報とにらめっこ。
今年のスケジュールを見ると今回が最後になりそうだから、晴れたところでと、決めたのが車で3時間弱の休暇村気仙沼大島キャンプ場。
家族4人(と1匹)で始めて利用させてもらったが、太平洋を眺望でき、朝日が水面に反射する光景は壮観。
キャンプ場に着く前に「お魚いちば」で調達した新鮮な魚介類を酒の肴に呑むと、純米大吟醸酒はあっという間に無くなってしまった。
1泊では足りないなと感じた。帰りに「お魚いちば」に再び寄って、サンマ、ホッキ貝、メカジキのハーモニカ、カツオの心臓、などなど爆買い。
今回、どうしても行きたかった「気仙沼市東日本大震災遺構伝承館」。久しぶりに訪れ、特に、階上中学校の卒業式答辞の映像を見て涙し、
翌日、ネットで答辞の文章をプリントアウトして読み返すと、またもやこみ上げてくるものがあった。。私は、よき社会人になれるのだろうか。。
「答 辞」
今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を挙行して頂き有難うございます。
ちょうど10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。
私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を57名揃って巣立つはずでした。
前日の11日一足早く渡された思い出の詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いをはせた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず……階上中学といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。時計の針は14時46分を指したままです。でも時は確実に流れています。生かされた者として顔を上げ常に思いやりの心を持ち強く正しくたくましく生きて行かなければなりません。命の重さを知るには大き過ぎる代償でした。しかし苦境にあっても天を恨まず運命に耐え助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です。私たちは今それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても 何をしていようともこの地で仲間と共有した時を忘れず宝物として生きていきます。
後輩の皆さんは階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が如何に貴重なものかを考えいとおしんで過ごしてください。先生方、親身のご指導有難うございました。
先生方が如何に私たちを思って下さっていたか、今になって良く分かります。地域の皆さん、これまで様々なご支援を頂き有難うございました。これからも宜しくお願いいたします。
お父さん
お母さん
家族の皆さん
これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。
必ず良き社会人になります。
私はこの階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に本当に 本当に 有難うございました。
平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太
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